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Maktub(マクトゥーブ)と資本主義の狭間

最終更新: 1月7日


Maktub(マクトゥーブ)とは、アラビア語の直訳では「書かれている」とされ、物事の成り立ちは、すでに大いなる手によって既に書かれ、決していると考えられているそうです。


初めてこのMaktubというワードに出会ったのは、僕の尊敬する師の一人(とは言っても理容師の修行時代の同期の女性)からいただいた、パウロ・コエーニョ著「アルケミスト」という小説でした。




当時の僕は、すぐにその小説の中身を理解することができませんでしたが、ゆくゆくの自分の人生を大きく切り開く事になる、最も重要な人生の起点の一つになりました。

*詳しくは是非小説をお読みください。特に、20代前半ごろの方に最も強くお勧めします。これらを手にすることは、Maktubです。

「既に書かれている」とだけ解釈すると、まるでそれは人の努力とは無関係に、全て成り行き、全ては運命であるとも捉えることができますがそうでは無い。

「人事を尽くして天命を待つ」

むしろこちらの解釈の方がより正確に言い表していると感じます。

人生を計画することの賢明さ、それらを忠実に自らを律することの大切さではないかと思っています。

事業に取り組むものにとって、成り行き任せでは、いつか必ずほころびが生じ破滅します。

近代的な会計システムや、情報社会と共に生きる現代の我々にとって、中世前から確立されたと言われる複式簿記などを通じて、より自分の事業を正確に把握し、戦略的に物事を進行する習慣が必要なのです。

マックス・ウェーバーの有名な主張である「資本主義はプロテスタント(キリスト教)の職業倫理から発展したものである」という西欧の初期資本主義的職業倫理は、当時盛んに発展した国際貿易の中で育まれていったものであると位置付けています。

双方の見方は違えど、ムスリムもキリスト教徒も向かっている方向は同じに見えるし、ユダヤ教も仏教も教えの中に、似たような解釈が散見できる。

成り行き任せではなく、日々の記録(帳簿)を怠らず、戦略的に未来を切り開くのは、あなたの意思によるもの。

そしてそれらの結果は、あなたの行動次第で既に書かれたものである(Maktub)。





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